木村律先生を悼む
関西中医鍼灸研究会世話人
結(ゆい)針灸院 院長 藤井正道
木村律先生が2月に亡くなられた。脳血管障害でしゃべることが困難になっても、しゃべらないで臨床を続けてようとされていたとのこと。やはり臨床と情熱の人である。
1929年生まれ、1982年に53歳で鍼灸の道へ。独学で中医学を習得された中医針灸黎明期の人です。私がお会いした1990年頃は和歌山県の紀和病院の鍼灸室で助手1人と先生1人で奮闘されていました。カーテンもない空間にベットが5〜6台並び、吸い玉、灸頭鍼、棒灸、30番以上の太い鍼を使い次々と、楽しそうに患者さんを治療されていました。
片隅に黄ばんだノートの山。10年分の中医雑誌を訳した手書きノートが無造作に積み上げられていた光景は今も鮮明に覚えています。このノートが後に「針灸臨床治療法集」としてたにぐち書店から93年に刊行されることになります。たんなる訳本ではありません。共訳者の邵輝先生(関西中医鍼灸研究会講師)とともに臨床上の知見、コメントが随所にちりばめられている実践の書。今読み返してみても新鮮で独創的な内容に満ちています。
太い鍼と手技に強いこだわりを持たれていました。太い鍼も細い鍼も使う私とはいささか見解を異にしますが、患者がきちんと治っていくという結果にこだわる姿勢は尊敬に値するものでした。90年代前半、紀和病院鍼灸室は脈診舌診を精力的に学ぶ場として提供されました。邵輝先生の指導で私も実際の患者さんの脈や舌を学ばせてもらいました。おかげで、いくつかの独自見解をだすことができ、日本での中医学的針灸に関して論考することができるようになりました。例えば「風寒は浮にして緊が診断基準とされているが、私の針灸院では浮脈は確実にあるが 緊脈はあまりみられない。弦脈や滑脈が多いように感じる。気がそれほどしっかりしていない患者が多いため緊脈ほど脈の勢いがつかないのではないか。そのためせいぜい弦脈どまり。風寒に気虚がからむ場合が多い。日本は湿邪多い
ため滑脈か。」といった見解は脈診の訓練なくしては出すことはできません。
日本の鍼灸や医療の現状には厳しい意見を口にされる一方、患者さんにはやさしい先生でした。家族にも愛情をそそぎ、また愛されていたのでしょう。出棺のおり妻弘子さんは棺に横たわる木村先生の顔を、何度も何度も愛おしそうになでていらっしゃいました。
略歴
1957年 神戸市外国語大学二部英米学科中退
1977年 関西鍼灸柔整専門学校鍼灸科卒業
内科診療所に14年精神科診療所に14年勤務し、事務長を務める。庄内病院鍼灸科をへて紀和病院鍼灸室へ勤務。
1994年からは大阪市淀川区東三国の自宅で針灸院開業。2005年刊行の「鍼灸の挑戦―自然治癒力を生かす」 (岩波新書)松田 博公著でも紹介されている。2012年2月逝去
主な論文
奇経の臨床の臨床検査応用、小児脳波検査の一工夫(1975)
一側性の疾患で血液の左右差(気血偏差)を伴う場合の針灸治療(1990)
移行型肝経風痰の針灸治療(1991)
