2011年05月03日

塩竈よりNo.4

被災地 塩竈よりNo.4

結(ゆい)針灸院 、関西中医鍼灸研究会の藤井です。被災地宮城県塩竈市を離れ大阪府吹田市へ戻りました。災害鍼灸マッサージプロジェクトというネットワーク的な組織で行動しています。今は後方支援の広報の仕事を続けています。

☆浦戸諸島、寒風沢(さぶさわ)で言葉を失う

2日、連絡船で寒風沢につくと迎えの軽トラックが来ていた。連絡船で運ばれた支援物資を積み込み、空いたところに我々も乗り込む。軽トラックの荷台に乗るのはめったにできる体験ではない。メンバーも少々はしゃぎ気味。津波被害のみえない道、避難所までのドライブは快適だった。
http://photozou.jp/photo/show/1609757/78067028
避難所の廃校の体育館には先発隊が設置した治療スペースがすでにできていて、患者さんも2人待っていた。治療家は4人いたため、治療家2人は避難所リーダー島津功さんに案内され、島津さん宅へ。そこで言葉を失った。津波から一ヶ月以上たっていたが、離島のガレキ撤去は手付かず状態。島民が独力で片付け、かろうじて軽トラックの通る道路だけを確保していた。
http://photozou.jp/photo/show/1609757/78063499
ガレキ撤去ボランテイアとして同行した正道カラテの道場主2人も呆然と立ちつくす。
同行した若手、竹本先生はガレキ撤去を手伝うことになった。ほんの一部だけが残った島津さん宅1階のガレキ撤去がはじまった。
昼食時に戻ってきた正道カラテの道場主は憔悴しきった顔でつぶやいた。
「1万分の1も片付いたかどうか。」塩竃は名物の寿司屋さんもぼつぼつ営業を再開していたが、離島はまだまだだ。
http://photozou.jp/photo/show/1609757/78074055
お風呂は一週間から10日に一度、自衛隊の護衛艦に入りに行く。揺れる船内で入浴はなかなか大変だ。待ちきれないので風呂に入るためだけに連絡船に乗る人もいる。物資は自衛隊のヘリで届けられている。

☆すすまないガレキ撤去をめぐる諸事情

帰りの連絡船で寒風沢の島民の方の話を聞いた。
以下、島民の方の話
津波直後は廃校の避難所は被災者であふれかえっていた。収容できないので一部は近くのお寺に行った。一部で電気、水道が通り始めたので津波をまぬがれた家の人は自宅に戻っている。体育館の避難者も連休明けには居住性がましな教室に引っ越せるだろう。
http://photozou.jp/photo/show/1609757/78071921
自衛隊は行方不明者捜索のために来てくれたがガレキ撤去はしない。彼らの任務ではないからだ。津波後は島民総出の人力と海苔やカキの工場に残ったフォークリフト等を使って独力で片付けたが、今以上は無理だ。島民には重機を運転できる人もたくさんいる。重機が来て、行政の仕事として雇用されればたちまち片付けてみせる。俺らは働くよ。塩竃市は漁場整備で連休明けにでも漁民の雇用を始めるという話だ。なんとかガレキ撤去の方も早くそうしてほしい。以上

過労にあえぐ市役所職員の治療をしていた私はなんとも複雑な気持ちになった。

◆災害鍼灸マッサージプロジェクトのHPは以下
http://sinkyu-sos.jimdo.com/

◆ボランティア活動の報告を随時、ツイッターでしています。災害鍼灸マッサージプロジェクトからの要請です。後方支援として現地からの情報を整理し、連休中は代理投稿します。私のツイッターの名前は @hariyui 以下のサイトでみることができます。写真もアップしています。
http://twitter.com/#!/hariyui

では今日はこの辺で。

ホームページは http://yuisuita.com/
耳鼻のどの専門サイトは http://hari.yuisuita.com/
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posted by ゆい at 19:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記
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