2011年05月01日

被災地 塩竈よりNo.3

結(ゆい)針灸院 、関西中医鍼灸研究会の藤井です。宮城県塩竈市へ鍼灸のボランティアとして入って5日になりました。災害鍼灸マッサージプロジェクトというネットワーク的な組織で行動しています。

☆被災後の島の暮らし、野々島では

浦戸諸島の被災者の皆さんは今、忙しい日々を送っていらっしゃいます。1週間ほど前に一部水道が復旧したため、真水を使って掃除ができるようになったからです。浸水だけのお宅の場合、畳や床が洗えるのです。
朝から自宅に片付けのために向かいます。車が流されたために徒歩で向かいます。高台にある学校を利用した避難所から自宅までは遠いので、お昼持参。夕方は暗くならないうちに早めにもどってきます。ご高齢の方が大半で徒歩移動と片付け作業は筋肉痛をもたらします。足腰の痛みや張りを訴える患者さんが多い印象でした。バケツ一杯のお湯で身体を拭くのが今の野々島の避難所のお風呂。お風呂に入るために連絡船で本土に渡る方も多いようです。
じつは緊張がつづくと末梢の血液循環は悪くなります。使い過ぎだけでなく緊張も筋肉痛やいろいろなこり、痛みをもたらしています。
「重機がないから結局は人手に頼るしかない」「なかなか片付かないからみんなイライラしている」というような声も聞きました。野々島で動いている重機はNTTの通信復旧用くらいとか。避難所に向かう途中に比較的小ぶりなタイプの重機をみました。
塩釜の本土側には片付けのボランティアも入っているのですが、島は関係団体が安全上の理由から送り出していないため島の人々が自力で作業しています。私たちは先発隊が交渉して入れることになりました。前号で紹介したように野々島の浦戸小、中学校には子供たちが通学しています。子供たちが通っているところに片付けボランティアが行けないというのはちょっと不思議な気がします。

☆被災後の島の暮らし、寒風沢では

寒風沢の水道の復旧は遅れています。4月末に一部通水したものの、まだまだ。自衛隊のホバークラフトに乗って護衛艦のお風呂に入るという暮らしです。自衛隊のホバークラフトは軍用のため窓はありません。船体を風圧で浮かせる構造でも結構揺れるようで、島の人でも船酔いが続出したと聞きました。
廃校の体育館が避難所になっていて、地震で大きく崩れた壁がブルーシートでおおわれています。5月といっても朝晩はまだまだ寒い。ご高齢の身体にはこたえるようです。
寒風沢のお米は酒米としてすぐれたものでした。塩竈の銘酒 浦霞も寒風沢のお米を原料としたブランドがあったのですが、田んぼに海水が流れ込み耕作不能に。農家は耕作放棄を決めたと聞きました。じつは市役所3階の臨時治療所に「よくぞ寒風沢まで来てくれた」とわざわざお礼に来てくださった島の方がいらっしゃったのですが、その方がブランド米の生産者だったと後で聞き驚きました。たしかに精力的な魅力あふれるお年寄りでした。

◆災害鍼灸マッサージプロジェクトのHPは以下
http://sinkyu-sos.jimdo.com/

◆ボランティア活動の報告を随時、ツイッターでしています。災害鍼灸マッサージプロジェクトからの要請です。私は2日午後に現地を離れますが、後方支援として現地からの情報を整理し、連休中は代理投稿する予定です。私のツイッターの名前は @hariyui 以下のサイトでみることができます。写真もアップしています。
http://twitter.com/#!/hariyui

では今日はこの辺で。
posted by ゆい at 20:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記
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