2017年11月30日

昔の知人の活躍には力づけられます

ローマ法王がミャンマーを訪問し、平和と和解を訴えられています。
50万人をこえるロヒンギャの人々がミャンマー軍部の弾圧によって難民となり バングラデシュに逃れています。
おそらく かつてバングラディシュのチッタゴンで会ったカットリックの神父さまや修道士の方々がローマ法王のミャンマー訪問実現に尽力されたのでしょう。知人の活躍には力づけられます。チッタゴンはバングラデシュとミャンマーとの国境に近い都市です。

94年 私はチッタゴンを訪れています。
90年代前半にバングラディシュのミャンマーとの国境沿いの先住民の医療活動支援として先住民の青年が中国で鍼灸を学んで鍼灸師になるプロジェクトに関わりました。このとき 先住民とだけ紹介されていた人々がロヒンギャの人々の可能性大です。

最初 カトリック京都教区の方から、知人を介して「先住民の青年に鍼灸を教えてくれないか」という依頼が来ました。私はカトリックではありませんが、「先住民の医療活動支援」という趣旨には賛同し協力することにしました。

大阪の都市住民向きの鍼灸を学んだところで、バングラディシュの農村部では役に立たないでしょう。当時 改革開放が始まったばかりの北京の北京中医学院で留学生として学ぶことを提案しました。当時 中国の物価は安く、日本で学ばせようとした予算で中国留学は十分に可能でした。
先住民と紹介されたトーマス君を北京中医学院にあの手この手で送り込みました。
一時 勉学への意欲を無くしかけたトーマス君を北京に行って激励し、勉強の環境を整えたりといろいろやりました。トーマス君の教育をめぐって北京中医学院の先生たちと 中国語 英語 日本語がちゃんぽんで飛び交う会議をしたのも今ではなつかしい思い出です。

94年のチッタゴンの修道士さんたちは国境地帯の貧しい農村や難民の問題に取り組んでいて、私には宗教家というよりも、社会運動の活動家のようにみえました。国境地帯にも行きたいと希望しましたが軍部の支配下にあるということで止められたのを思い出します。チッタゴンに残り 活動を続けてくれないかと結構 本気で説得されました。圧倒的なバングラディシュの貧困の前に 一時 気持ちが揺れましたが、息子もまだ幼く 日本に帰ることを選びました。
95年 阪神大震災がおこり 私は鍼灸ボランティアを必死で組織しました。チッタゴンというまったく気候風土 文化の違う場所での鍼灸治療の経験は私が大阪の気候風土にあった鍼灸を考える大きな契機になりました。

下記は 当時書いた「バングラディシュ 印象記」が掲載されている京都教区のHPです。

http://www.kyoto.catholic.jp/hp/y94-00/cn1294.html#anchor96318
下はバングラディシュの民族服を着た当時の私です。
van2.jpg
posted by ゆい at 18:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記
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