2011年05月27日

8日間で治った四十肩

大阪も関東も梅雨入りしました。週の初めに気温が急に下がったため、風邪を引いてしまった患者さんが何人かみられました。お気をつけください。天気予報をみて自衛してください。とくに前日との気温の差、最低気温と最高気温に気をつけて衣服を調整してください。

☆8日間で治った四十肩

昨日から肩がズキズキ痛み始めたと40代の男性が来院されました。痛みで肩を動かすこともできません。肩関節周囲炎、四十肩です。職場では「治るまでに1年かかる」「自然に治るのを待つしかない」とさんざん脅されていました。
2回の治療で痛みは消失。8日後には自由に肩を動かせるようになり、連休前に治療を終了しました。鍼灸ボランティアのために長めの休みをいただく予定になっていたので、私もほっと胸をなでおろしました。じつは糖尿病をお持ちの患者さんだったので、治りにくいのではと心配していたのですが大丈夫でした。
四十肩、五十肩は「長くかかる」という迷信が蔓延しています。ほおっておくと一ヶ月〜半年も夜の痛みに苦しむ場合もあります。早めに鍼灸治療を受けてさっさと治してください。

※治療例は個人情報保護の観点から、患者さんの年齢、状況を大勢に影響ない範囲で少し変えている場合があります。ご了承ください。

◆専門家、鍼灸学校学生の皆さんへ
☆福岡県飯塚市で講演します。
《日時》 6月26日(日) 詳しくは下記をご覧ください。
http://fukuoka.harikyu.or.jp/10Gakujitu/156kenngakkaichikuhou.pdf

☆専門誌中医臨床で鍼灸ボランティアについて記事を書きました。6月20日発売です。どうぞご覧ください。被災地塩竃での鍼灸ボランティアの活動は以下のページで豊富な写真といっしょに見ることができます。
http://photozou.jp/photo/top/1609757

☆関西中医鍼灸研究会のお知らせ 関西中医研の基礎 腰痛編
講師 藤井正道
《日時》 6月25日(土) 18:00〜21:00
《場所》大阪市立総合生涯学習センター  第一研修室 (大阪駅前第2ビル5F)詳しくは下記をご覧ください。
http://www001.upp.so-net.ne.jp/yuihari/top.htm

ホームページは http://yuisuita.com/
耳鼻のどの専門サイトは http://hari.yuisuita.com/
携帯用ホームページは http://yuisuita.msc.ms2.jp/

posted by ゆい at 13:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 頭痛、肩こり

2011年05月11日

家族といっしょに治す。老人性うつ病。

結(ゆい)針灸院 、関西中医鍼灸研究会の藤井です。8日日曜に気温が上昇したかと思うと、今度は梅雨のような雨。忙しい天気です。日曜の気温上昇に調子を悪くした患者さんが何人かいらっしゃいました。
被災地塩竃での鍼灸ボランティアの活動は以下のページで豊富な写真といっしょに見ることができます。
http://photozou.jp/photo/top/1609757

☆家族といっしょに治す。老人性うつ病。

ある患者のお孫さんからメールで質問がきました。

お孫さん 
私には現在、○○市に77歳の祖父がおります。 祖父は過去に肝臓と、肺気腫で入院治療しておりました。
10年ほど前に、風邪をこじらし、寝込んだのち、精神神経科に通院しておりました。そこでは、正確な病名は忘れてしまったのですが、抗うつ剤を処方され、後10年服用し続けています。最近では、胸の苦しさや、頭痛を訴え、その都度頓服を服用するという毎日です。日増しに、その訴えが増えたので、総合病院にかかり検査もしましたが、異常は見つかりませんでした。
本人は、非常につらいと思いますが、病院嫌いであり、治療に対して前向きにはなれないでいます。物忘れもあり、痴呆が始まっているようにも見受けられます。また、無気力であり、悲観的な面もあるので、うつ病の懸念もあります。
ともかく、素人の私たちでは、本人がなぜ苦しいのか、という基本的な原因すらわからず、困惑しております。

◆私 
メールの文章から受けた印象では 老人性うつ病の疑いを感じます。私は針灸の仕事をしておりますし、針灸治療も選択のひとつではないかと思いますが、とにかく患者さんを丁寧にみて患者さんの誇りを傷つけないようにあつかってくださるような医療機関にかかられることをお勧めします。

お孫さん 
先生のおっしゃられる通りだと思います。祖父は、以前、総合病院に連れて行ったときに、まともな治療をしてもらえず、かなりのショックを受けていたと聞きました。もともとプライドが高く、頑固な気質もあり、最近では病院にいくことが嫌になっているようです。まわりにいる私たち自身も、どこかで祖父の誇りを傷つける言動をしていたかもしれません。これを期に、親族全員で考えていきたいと思います。
 
お孫さん 
今日、母から結(ゆい)針灸院にうかがった際の報告を受け取りました。お忙しい中、ご丁寧に診療してくださり、大変にありがとうございました。祖父も「頭痛が楽になり、今まで苦しかったが、やっと良くなった。」と大変に喜んでおりました。
メール引用以上

初診では「メールで受けていた印象よりあなたは元気だ。身体も年のわりにはしっかりしている。ただ身体のバランスが乱れている。バランスを回復するのはそうむずかしいことではない。治療すれば楽になる」と患者さんを励ましました。いままで否定的なことばかりいわれていたことが予想できますから、励みになるような言葉が必要です。痴呆ではなく老人性うつ病と判断しました。
最初は車に乗せてもらって来院されましたが、2回目は電車利用。電車に乗ったのは15年ぶりとのこと。結局3回の治療で「胸の苦しさや頭痛等がなくなった。頸のつらさもない。」ということで治療を終了しました。遠方からの来院も負担のためです。
老人性うつ病の治療は針灸治療に加え家族の協力と理解が大切です。高齢でも意外と早く治ります。

※治療例は個人情報保護の観点から、患者さんの年齢、状況を大勢に影響ない範囲で少し変えている場合があります。ご了承ください。

◆専門家、鍼灸学校学生の皆さんへ、関西中医鍼灸研究会のお知らせ

☆5月の関西中医研は 鍼灸ボランティア報告会です
 
 災害鍼灸マッサージプロジェクトの呼びかけに応じ4〜5月 関西から被災地東北に鍼灸ボランティアとして多くの治療家が駆けつけ活動しました。災害鍼灸マッサージプロジェクトの活動は今も続いています。
関西中医研からは藤井、久保、近藤、柴田(浜松在住)の会員が参加しました。関西からは他にも何人かの先生方が参加されています。会員はもちろん、会員以外の他の先生方もお呼びして報告会を開きます。どんな患者さんを、どんな形で治療したのか。被災地に入って感じたことは、鍼灸師に何ができるのか。いろいろ話していただきます。現地で活動中は多忙のため参加者同士が話し合う時間はほとんどありませんでした。座談会方式も取り入れざっくばらんに話してもらう予定です。
 
《日時》 5月21日(土) 18:00〜20:30
《場所》大阪市立総合生涯学習センター メディア研修室(大阪駅前第2ビル5F)事前申し込み不要 直接会場までお越しください。
参加費 1000円 参加費は災害鍼灸マッサージプロジェクトへのカンパとします。

☆関西中医研の基礎 腰痛編 (講師 藤井)は1ヶ月順延し、6月25日土曜にやります。
《日時》 6月25日(土) 18:00〜21:00
《場所》大阪市立総合生涯学習センター  第一研修室 (大阪駅前第2ビル5F)
事前申し込み不要 直接会場までお越しください。
参加費  一般会員2500円 学生会員1500円
     一般参加3000円 学生参加2500円

ホームページは http://yuisuita.com/
耳鼻のどの専門サイトは http://hari.yuisuita.com/
携帯用ホームページは http://yuisuita.msc.ms2.jp/
posted by ゆい at 09:39| Comment(0) | TrackBack(0) | うつ、パニック障害

2011年05月05日

被災地 塩竈よりNo.5

結(ゆい)針灸院 、関西中医鍼灸研究会の藤井です。被災地宮城県塩竈市を離れ大阪府吹田市から書いています。災害鍼灸マッサージプロジェクトというネットワーク的な組織で行動しています。今は後方支援の広報の仕事を続けています。明日6日は平常どおり結(ゆい)針灸院を開けます。

☆熱情あふれる治療家たち

ボランティアで大切なのはチームの士気、士気と個人の熱情がすべての源泉です。
塩竈チームがまず感謝したいのは小河原先生。先発の小河原先生の交渉のおかげで浦戸諸島での活動ができるようになった。塩竃市の社協は島にはボランティアを送らない姿勢を続けている。
寒風沢島の惨状に心を痛めた高谷先生は多賀城の自衛隊の風呂(被災者、ボランティア向け)に来ていた人にも寒風沢島へのボランティアをすすめていた。高谷先生の意見を取り入れ、治療の手が空いたらガレキ撤去も手伝える人材をということで、寒風沢島へ送るメンバーは体格、年齢を考慮して決めた。高谷先生の熱情はチーム全体の士気も高めていた。自分が現地を離れる朝のミーティングにも参加。寒風沢島をよろしくと訴えていた。
http://photozou.jp/photo/show/1609757/77279787

広島県岩国市からポータブルベットまで持って単身、車で駆けつけた藤本先生は野々島での宿泊を志願した。5月2日頃になると島での滞在時間の短さがチームで問題となっていた。島の人が自宅のガレキ撤去の仕事を終え、避難所に戻ってくる頃にボランティアは連絡船で島を離れる。宿泊すればもっと多くの被災者の治療ができる。宿泊も追求してみようということになった。ただし疲労を考慮し一泊を限度とする。藤本先生はぼそっと「僕、泊まりたいんですが」と志願してきた。おとなしそうだが力を秘めた若い先生。結局、避難所側の意向で宿泊はなくなったが、藤本先生の熱意はぜひ伝えておきたい。
http://photozou.jp/photo/show/1609757/78473754

行政ルートよりも個人のつながりの方が役にたつこともある。塩竃に実家のある今野先生のつながりから消防署での活動ができた。じつは震災のために署長の移動が4月ではなく5月1日となっていた。連休時は責任所在があいまいで正規のルートでは連休中の消防署での治療は不可能だった。今野先生が積極的に動いてくれたおかげで、疲れた消防士さんを治療できた。
http://photozou.jp/photo/show/1609757/78068950

塩竃チームのメンバーは積極的だ。次々に意見を出し、関係筋と交渉し活動拠点を増やしていった。市立病院での治療展開は久保医師の交渉力によるものが大きい。連休時に大幅に増えたボランティアの先生方も適切に活動することができた。紹介しきれない多くの先生方の熱意がボランティア活動を支えている。
http://photozou.jp/photo/show/1609757/77738867

◆災害鍼灸マッサージプロジェクトのHPは以下
http://sinkyu-sos.jimdo.com/

◆ボランティア活動の報告を随時、ツイッターでしています。災害鍼灸マッサージプロジェクトからの要請です。後方支援として現地からの情報を整理し、連休中は代理投稿します。私のツイッターの名前は @hariyui 以下のサイトでみることができます。写真もアップしています。
http://twitter.com/#!/hariyui

ホームページは http://yuisuita.com/
耳鼻のどの専門サイトは http://hari.yuisuita.com/
携帯用ホームページは http://yuisuita.msc.ms2.jp/
ツイッターは http://twitter.com/#!/hariyuiは今日はこの辺で。
posted by ゆい at 13:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2011年05月03日

塩竈よりNo.4

被災地 塩竈よりNo.4

結(ゆい)針灸院 、関西中医鍼灸研究会の藤井です。被災地宮城県塩竈市を離れ大阪府吹田市へ戻りました。災害鍼灸マッサージプロジェクトというネットワーク的な組織で行動しています。今は後方支援の広報の仕事を続けています。

☆浦戸諸島、寒風沢(さぶさわ)で言葉を失う

2日、連絡船で寒風沢につくと迎えの軽トラックが来ていた。連絡船で運ばれた支援物資を積み込み、空いたところに我々も乗り込む。軽トラックの荷台に乗るのはめったにできる体験ではない。メンバーも少々はしゃぎ気味。津波被害のみえない道、避難所までのドライブは快適だった。
http://photozou.jp/photo/show/1609757/78067028
避難所の廃校の体育館には先発隊が設置した治療スペースがすでにできていて、患者さんも2人待っていた。治療家は4人いたため、治療家2人は避難所リーダー島津功さんに案内され、島津さん宅へ。そこで言葉を失った。津波から一ヶ月以上たっていたが、離島のガレキ撤去は手付かず状態。島民が独力で片付け、かろうじて軽トラックの通る道路だけを確保していた。
http://photozou.jp/photo/show/1609757/78063499
ガレキ撤去ボランテイアとして同行した正道カラテの道場主2人も呆然と立ちつくす。
同行した若手、竹本先生はガレキ撤去を手伝うことになった。ほんの一部だけが残った島津さん宅1階のガレキ撤去がはじまった。
昼食時に戻ってきた正道カラテの道場主は憔悴しきった顔でつぶやいた。
「1万分の1も片付いたかどうか。」塩竃は名物の寿司屋さんもぼつぼつ営業を再開していたが、離島はまだまだだ。
http://photozou.jp/photo/show/1609757/78074055
お風呂は一週間から10日に一度、自衛隊の護衛艦に入りに行く。揺れる船内で入浴はなかなか大変だ。待ちきれないので風呂に入るためだけに連絡船に乗る人もいる。物資は自衛隊のヘリで届けられている。

☆すすまないガレキ撤去をめぐる諸事情

帰りの連絡船で寒風沢の島民の方の話を聞いた。
以下、島民の方の話
津波直後は廃校の避難所は被災者であふれかえっていた。収容できないので一部は近くのお寺に行った。一部で電気、水道が通り始めたので津波をまぬがれた家の人は自宅に戻っている。体育館の避難者も連休明けには居住性がましな教室に引っ越せるだろう。
http://photozou.jp/photo/show/1609757/78071921
自衛隊は行方不明者捜索のために来てくれたがガレキ撤去はしない。彼らの任務ではないからだ。津波後は島民総出の人力と海苔やカキの工場に残ったフォークリフト等を使って独力で片付けたが、今以上は無理だ。島民には重機を運転できる人もたくさんいる。重機が来て、行政の仕事として雇用されればたちまち片付けてみせる。俺らは働くよ。塩竃市は漁場整備で連休明けにでも漁民の雇用を始めるという話だ。なんとかガレキ撤去の方も早くそうしてほしい。以上

過労にあえぐ市役所職員の治療をしていた私はなんとも複雑な気持ちになった。

◆災害鍼灸マッサージプロジェクトのHPは以下
http://sinkyu-sos.jimdo.com/

◆ボランティア活動の報告を随時、ツイッターでしています。災害鍼灸マッサージプロジェクトからの要請です。後方支援として現地からの情報を整理し、連休中は代理投稿します。私のツイッターの名前は @hariyui 以下のサイトでみることができます。写真もアップしています。
http://twitter.com/#!/hariyui

では今日はこの辺で。

ホームページは http://yuisuita.com/
耳鼻のどの専門サイトは http://hari.yuisuita.com/
携帯用ホームページは http://yuisuita.msc.ms2.jp/
ツイッターは http://twitter.com/#!/hariyui
posted by ゆい at 19:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2011年05月01日

被災地 塩竈よりNo.3

結(ゆい)針灸院 、関西中医鍼灸研究会の藤井です。宮城県塩竈市へ鍼灸のボランティアとして入って5日になりました。災害鍼灸マッサージプロジェクトというネットワーク的な組織で行動しています。

☆被災後の島の暮らし、野々島では

浦戸諸島の被災者の皆さんは今、忙しい日々を送っていらっしゃいます。1週間ほど前に一部水道が復旧したため、真水を使って掃除ができるようになったからです。浸水だけのお宅の場合、畳や床が洗えるのです。
朝から自宅に片付けのために向かいます。車が流されたために徒歩で向かいます。高台にある学校を利用した避難所から自宅までは遠いので、お昼持参。夕方は暗くならないうちに早めにもどってきます。ご高齢の方が大半で徒歩移動と片付け作業は筋肉痛をもたらします。足腰の痛みや張りを訴える患者さんが多い印象でした。バケツ一杯のお湯で身体を拭くのが今の野々島の避難所のお風呂。お風呂に入るために連絡船で本土に渡る方も多いようです。
じつは緊張がつづくと末梢の血液循環は悪くなります。使い過ぎだけでなく緊張も筋肉痛やいろいろなこり、痛みをもたらしています。
「重機がないから結局は人手に頼るしかない」「なかなか片付かないからみんなイライラしている」というような声も聞きました。野々島で動いている重機はNTTの通信復旧用くらいとか。避難所に向かう途中に比較的小ぶりなタイプの重機をみました。
塩釜の本土側には片付けのボランティアも入っているのですが、島は関係団体が安全上の理由から送り出していないため島の人々が自力で作業しています。私たちは先発隊が交渉して入れることになりました。前号で紹介したように野々島の浦戸小、中学校には子供たちが通学しています。子供たちが通っているところに片付けボランティアが行けないというのはちょっと不思議な気がします。

☆被災後の島の暮らし、寒風沢では

寒風沢の水道の復旧は遅れています。4月末に一部通水したものの、まだまだ。自衛隊のホバークラフトに乗って護衛艦のお風呂に入るという暮らしです。自衛隊のホバークラフトは軍用のため窓はありません。船体を風圧で浮かせる構造でも結構揺れるようで、島の人でも船酔いが続出したと聞きました。
廃校の体育館が避難所になっていて、地震で大きく崩れた壁がブルーシートでおおわれています。5月といっても朝晩はまだまだ寒い。ご高齢の身体にはこたえるようです。
寒風沢のお米は酒米としてすぐれたものでした。塩竈の銘酒 浦霞も寒風沢のお米を原料としたブランドがあったのですが、田んぼに海水が流れ込み耕作不能に。農家は耕作放棄を決めたと聞きました。じつは市役所3階の臨時治療所に「よくぞ寒風沢まで来てくれた」とわざわざお礼に来てくださった島の方がいらっしゃったのですが、その方がブランド米の生産者だったと後で聞き驚きました。たしかに精力的な魅力あふれるお年寄りでした。

◆災害鍼灸マッサージプロジェクトのHPは以下
http://sinkyu-sos.jimdo.com/

◆ボランティア活動の報告を随時、ツイッターでしています。災害鍼灸マッサージプロジェクトからの要請です。私は2日午後に現地を離れますが、後方支援として現地からの情報を整理し、連休中は代理投稿する予定です。私のツイッターの名前は @hariyui 以下のサイトでみることができます。写真もアップしています。
http://twitter.com/#!/hariyui

では今日はこの辺で。
posted by ゆい at 20:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記